2015年12月17日木曜日

交通事故マッピングのサーベイ(2/3)

アメリカ編の続きです。

United Kingdom

イギリスはオープンデータの先進国として名高く、政府が率先してデータを公開しています。
Road Safety Dataというページで現在は2014年までのデータが公開されています。
また、2010年にこのオープンデータを使って作られたマップがMapsdataで公開されています。
このサイトでは、データの可視化はビッグデータの理解を助ける上で必要不可欠であるという信念のもと、色々試しています。
上図は各事故の箇所にマーカーを置いたマップで、マーカーをクリックすると詳細が出てきます。
この最も基本的なマーカーマップをベースに三通りのカスタマイズが提案されていて、まず一つ目がヒートマップ。
どこで事故が集中的に起きているかを可視化する手法です。
ここでは単純に事故の数だけで密度計算をしているっぽいですが、事故の重さや古さに応じて重み付けをすればあらゆるパターンのヒートマップを描く事ができます。

二つ目がクラスターマップ。
マーカーをある範囲ごとにまとめた(Clusterした)ものです。
マーカーマップに比べ、どの地域が事故が多いかが見やすいマップになります。
図の縮尺に応じてクラスターも変化するので、単純に数で事故を俯瞰する際には便利かもしれません。

そして三つ目がバブルマップ。
このマップでは事故に関わった車の数に応じてバブルの大きさが変化します。
つまり、単純な事故数だけではなく事故の重さに応じたクラスタリング(分類)になっています。
また、この図をプロットする際には自分で条件を設定することもできます。
曜日や駅で設定できるようになっていますが、時間帯や季節で区分した方が効果的になる気もします。

しかしさすがオープンデータ大国だけあって、米国よりは一回り進んている印象です。
データのフォーマットさえ整えればイギリス以外のデータもこのプラットフォーム上で可視化できるらしいです。
日本のデータ公開を願ってやみません。

以上、イギリスの交通事故可視化マップでした。

次はフィンランドと日本

2015年12月11日金曜日

交通事故マッピングのサーベイ(1/3)

交通事故のデータを地図上にプロットして、事故が起こりやすい場所を可視化しようとする試みが少し前から広まりつつあります。
全ての事故現場に点を打つマーカーマップ、ヒートマップ、エリアで事故数をまとめるクラスターマップ、バブルマップなど方法は多々あります。
今回はアメリカ、イギリス、フィンランド、日本の取り組みを比べて、どれが一番使えそうかを考えます。
(最終的には改良版でも作ろうかと考え中ですが、それはまた次回のお話。)

United States
まずはアメリカのニューヨーク。
ニューヨークではニューヨーク市警察:NYPD (New York city Police Department)が交通事故のデータを公開しています。
オープンデータと呼ばれるアレです。
事故の場所や被害人数など、27種類もの情報が2012年から全て公開済みでダウンロード可能です。


このデータを使ってヒートマップを表示しているサイトがCrashMapperです。

下図のように表示されます。
CrashMapper
もっと拡大してみると

こんな感じです。

そこら中で事故が起きていることが分かるかと思います。
が、これではどの道が事故が多いのかよく分かりません。
時系列や事故の度合いなどから重み付けをすれば改善できるかもしれません。


二つ目はPulitzer Centerが公開しているRoads Kill Map

Pulitzer Centerは世界の事故・事件データを収集し、報道機関などに提供する組織で、世界中の交通事故死亡者数のデータをまとめたのがRoads Kill Mapです。
先のニューヨークの物とは違い、世界全体でヒートマップを表示しています。
10万人中何人が命を落としているかという計算で国ごとに比較しているため、発展途上国で多く亡くなっている事が分かります。

また、選択した国の交通事故死亡者の統計データも閲覧できます。
これは日本のデータです。
死亡者の34.6%が歩行者ですが、これは先進国26ヶ国の中では上から二番目です。
大半の先進国が10-20%の中この値は。。。


三つ目がITOWORLDという会社が開発したITO-Road fatalities US

アメリカで2001年1月から2009年12月の間に交通事故によって死亡した人数をマッピングしたサイトです。
データは国家道路交通安全局のもので、事故の場所と死亡した人の情報が可視化されています。

全体像は下図。

交通事故を可視化して、事故をゼロに! 
拡大すると

交通事故を可視化して、事故をゼロに!
こんな感じです。
全ての事故をプロットするマーカーマップです。
もう少し拡大すれば見やすいですが、この状態だとかなりカオスです。
縮尺によって表示方法も変えた方が良いかなという印象です。


最後に四つ目が米国クレアモント大学院が開発したSafe Road Maps

データは先程と同じ米国道路安全交通局のもので、2001年から2010年のデータが使われています。
指定した年数のデータを基にマーカーマップもヒートマップも表示できるという代物で、完成度はかなり高めです。
2013_クレアモント大_1
拡大縮小に合わせて自動でヒートマップをプロットしてくれるのですが、縮尺調整するたびに計算時間がかかるのが改善の余地ありかな、と感じました。


以上がアメリカの交通事故可視化マップのまとめでした。

次はイギリスのマップのまとめ

Source

2015年12月1日火曜日

弔辞

11月30日にジェーホの訃報に接しました。本当に残念です。

ジェーホは大学のテニス部の後輩です。私はそのテニス部では先輩後輩含めると100人以上の人と関わりがありますが、彼ほど皆から愛されている人はいません。先輩からは弟のように可愛がられ、後輩からは兄のように慕われる人間はそうはいないでしょう。





その理由は一言では言い表せません。ただジェーホは、いつも笑顔でした。それも心から笑っていました。われわれのテニス部は体育会ですので、理不尽な事も多々あります。疲労とストレスのあまり、愚痴や悪口を言ってしまう事も時にはあります。しかし私は、ジェーホが誰かの悪口を言っている所を見た事がありません。どんなに辛くて仲間が愚痴をこぼしている時も、彼は笑って皆を奮い立たせました。



最初の夏合宿で、ジェーホは私に酒で勝負を挑んできました。

「僕、まだ酒でつぶれた事ないんですよ!勝負しますか!」

と、あの快活な笑顔で挑んできた彼は、生まれて初めて酔い潰れました。
それでもなお、彼は笑っていました。

筋トレの際はいつも
「僕はまだ全然大丈夫ですよ」
という不敵な笑みで挑んできました。

バンジージャンプで、誰が一番遠くまで跳べるかを競わせたのもジェーホで、勝ったのもジェーホでした。
後輩ながら、あらゆる事を楽しむ姿勢は心から尊敬していました。




だから今度は私が挑む番です。もう誰の悪口も言いません。愚痴も言いません。笑顔を絶やさず、毎年この日にジェーホに挑みます。

「今年の俺はジェーホより笑顔だったぞ。」
「今年は誰の悪口も愚痴も言わなかったぞ。」
と。

ジェーホに勝つまで何度でも、毎年挑むと誓います。

合掌

2015年11月16日月曜日

人間塾の公開セミナーを聞いて

「悩み揺れながらも、進む人生」
というテーマで大学3~4年生の学生達が議論するという面白イベントを聴いてきました。

主な話のテーマはざっくり分けると

  1. 悩みって何?
  2. 進むというけれどどこからどこへ?
  3. 幸せって何だろう?

といった中々抽象的で難しそうな事でした。
色々と考えさせられましたが、自分の意見をまとめておかないと忘れそうなので(笑)
一個ずつ整理します。


1. 悩みって何?


これは大学3~4年生という事もありほとんど進路の話でした。自分の興味や考え方が出会う人や環境によって揺れ動いてしまうという悩みが多かった印象で、自分の進路をどう選べば良いのかというのは僕も大学3年の時は結構悩みました。当時の僕の興味はエネルギー関連にあり、各発電技術やスマートグリッドの制御アルゴリズムも興味がありましたし、電気自動車の電池やらスマートホームとの連携なんかも面白そうだし、「やりたいこと」で探したらいくらでもありました。

この「進路探し」をしている最中に自分の価値観を揺るがしたのが東日本大震災でした。

この時、たくさんの記事やコメントがメディアに露出し、多くの著名人の意見を見る中で三つのコンテンツが自身の考え方を大きく変えました。




家族を失う事の恐怖をたけしのコメントや東京マグニチュード8.0から教わり、家族や友達を失った子供達が将来の夢を語っているBBCを鑑賞し、自身の両親や兄弟の死を生まれて初めて意識しました。それは病気か、事故か、犯罪や戦争によるものか、あらゆる可能性がありますが私にとって最も恐ろしいのが交通事故でした。家族を失う事ももちろんですが、事故を起こした加害者に対する恨みにとりつかれるだろう事もです。そして交通事故は加害者側も一生苦しみます。


それ以来私の使命は「交通事故をなくす」事になり、進路に悩む事もなくなりました。実はこの決断をした後研究室を変えたり博士課程を目指したりITベンチャーのインターン行ったりと、周りから見れば「揺れまくり」な人生だったに違いありません。しかし私は一度たりとも自分が揺れたとは思っていませんし、悩んだ事もありません。これに関しては例え話で説明します。

まず頂上の見えない塔、あるいは山をイメージします。グレート・スピリッツでもOKです。


(参考:シャーマンキングのグレート・スピリッツ)

その塔ないし山を登る際、大学3年生の時の私は「登りたい道」を探していました。
見通しの良い道なのか、傾斜は緩そうか、道の人通りは多いか、大きい道か、しっかり舗装されているか、適度に良い景色が見える面白そうな道か。そんな事を重視していました。

しかしよくよく考えれば、人間は60億人います。日本人だけでも1億人です。道ならいくらでも開拓済みです。道より問題なのは、「今いる山の途中から他の山には中々行けない」という事です。選ぶべきは道ではなく山だったんです。それに気付いてからは道へのこだわりはなくなりました。常に頂上を見ていれば、道が途中でなくなろうが険しかろうがなんとかなる、と最近思うようになりました。

本日のセミナーで塾長が「悩むだけ無駄」という話をしていましたが、それは道選びの話だけなら大いに共感します。ただ山選びは大いに悩むべき所です。自分の10年、20年を捧げるものなので。


2. 進むというけれどどこからどこへ?


この問いは最近考えることを忘れていたので良い機会でした。セミナーの登壇者たちが「両親が育てあげてくれた所から自立した自分に進みます!」という答えを示していて、確かに自分がやってきたのは両親が作り上げたコミュニティからだという当たり前の事を思い出させてくれました。

ただせっかくこの世に生まれたからには、両親に負けるわけにはいかないな、という事は割と幼少期から思っていました。子供が親より小さいコミュニティで小さな人間になってしまったら一族縮小してしまうので(笑)、親よりちょっとでも大きなコミュニティ形成してちょっと大きい事達成していけられれば前進と呼べるかなと思っています。


3. 幸せって何だろう?


このテーマは中々白熱していました。「幸せを求めることは義務だ!皆が幸せになるべきだ!」という塾長と「いやいや、幸せを強要したらそれ幸せじゃないでしょ。求めるべきは自由でしょ」という登壇者で議論してましたけど、よくよく聴くと同じ考えなんだろうなー、という印象でした。ただ前者はやはり言い過ぎかなと感じたので、ドフラミンゴ思想を用いて反論させてもらいます。

まず塾長の思想はこれですよね。
(参考:鋼の錬金術師の「一は全 全は一」)

一(個人)の幸せは全員の幸せあってのものだし、全員の幸せは一(個人)の幸せあってのもの。
一(個人)が全(他人)の幸せを願うことから一と全の相互作用が始まるから、皆利他的に生きようっていう思想ですよね。

この思想に鋼の錬金術師で初めて触れた時は深く共感しました。が、違和感を感じ始めたのは飲食店のバイト中でした。私が働いていた飲食店にいらっしゃるお客様は兎角

  • 頼んだ飯を残す
  • 店員の所作や調理時間で怒る

彼らを見ていて思い出したのはドフラミンゴが言っていた「価値観の相違」でした。




彼らは金も時間も十分にあり、頼んだ料理も食べられないほど衣食住には困っていないわけです。幸せか不幸かで言えば間違いなく幸せなはずですが、出された飯を不味いと言い、サービスを提供しようと努力する店員に怒りをぶつけます。


この経験で確信したのは、「幸せな人間と不幸な人間は相容れない」という事です。自身を振り返ってみても、「楽あれば苦あり」ということわざの如く、自分の人生の中に楽と苦を見出します。人生良いことばかりじゃない、と誰しもが思っています。他所から見れば贅沢な悩みでも、彼らからすれば一大事なわけです。

では結局幸せって何?という問いの答えはまだ分かりません。が、シャーマンキングで葉が言っていた「楽」が一番幸せに近い状態かもと考えています。サボる意味の楽ではなく、誰も他人を憎まない世界を目指して活動しながらも、自身は決して幸せや不幸にゆれることなく揺らいでいる状態。「中庸」と言うと簡単そうに聞こえますが、難しいです。


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以上、本日のセミナー中の脳内まとめでした。

最後にパリのテロについても触れると、世界的に怒り(負)の流れがどうしても強まってるのがなんとかならんかな、という心境。家族や友人を失ったフランス人が憎しみに支配されるのは致し方ないですが、遠方の地にいる日本人だからこそ冷静にテロ対策をできないものか、テロを起こす側の価値観に近づけないか試していく所存です。

テロの被害を受けた方々のご冥福をお祈りいたします。


nobuto

2015年8月28日金曜日

【感想】 The Da Vinci Code

English version is under construction.


The Da Vinci Codeを読み終わりました。
キリスト教はあまり詳しくありませんし、それにまつわる絵画もよく知らなかったのですが十分楽しめました。歴史かミステリーが好きであればオススメです。


あらすじ

ルーヴル美術館。パリにあるフランス国立美術館で発見された館長ソニエールの死体をきっかけに物語は動き出す。殺害当夜、ソニエールと会う約束をしていたハーヴァード大学教授ラングドンは容疑者として追われるが、館長の孫娘であるソフィーの助けによって警察から逃亡する。二人はソニエールが残した暗号をヒントに、真犯人が求める「聖杯」を探す旅に出る。館長が命を賭けて守った「聖杯」とは一体何なのか。

以下、書評という名の雑文です。


歴史は作り話

「歴史はつねに勝者によって記されるということだ。

ふたつの文化が衝突して、一方が敗れ去ると、勝った側は歴史書を書き著す。
みずからの大義を強調し、征服した相手を貶める内容のものを。
ナポレオンはこう言っている。
”歴史とは、合意の上に成り立つ作り話にほかならない”と」


「本来、歴史は一方的にしか記述できない」



本作のディービングと同じ考えの人が以前『ワンピース』にもいました。
歴史は勝者によって塗り替えられるとしたら、一体どこに真実の歴史などあるのでしょうか。嘘の歴史を学ぶ事で何を得られるのか、嘘の歴史を火種に喧嘩してどうなるのか、そんな事を考えながら読んでいました。真実が分からないからこそ「歴史は繰り返す」のかもしれません。


歴史を学ぶことは大事だと思いますし、歴史に基づいて政治についても議論するべきだと思っています。ただ今知っている歴史の大半が作り話であると考えれば、韓国や中国ともっと冷静に議論ができて、改憲問題ももう少しマシな議論ができると思います。


反逆者になる

そんな繰り返す歴史とは対照的に、科学は常に(良くも悪くも)進歩してきました。科学の世界では嘘がすぐにバレます。現象や法則に基づいて体系的に整理されているからです。

では科学の始まりはいつなのか、という点に関しては本作ではキリスト教の司教アリンガローサが触れています。


「科学と信仰の融合になんの意味があるのか。
神への信仰をいだく者が偏りなく科学を修められるはずがないし、逆に、信仰にはいかなる物質的な裏付けも必要ない。」


神を信じるものに科学は必要ない、つまり神を信じられなくなったか、神の仕打ちに耐えられなくなった人達が科学を始めたわけです。

『プラネテス』でこの心情をズバッと言った人がいました。


「真理の探究は科学者が自らに課した使命です。
”本物”の神はこの広い宇宙のどこかに隠れ我々の苦しみを傍観している。
いつまでもそれを許しておけるほど私は寛容な人間ではない。」
病気になったら死ぬしかないのはおかしい、
移動手段が徒歩だけなのはおかしい、
暗くなったら何も出来ないのはおかしい、
遠くにいる人と話せないのはおかしい。

これら神への不満が技術の進歩を促進してきたはずでした。

しかし昨今、そういった「神への怒り」とは程遠い技術が増えている気がするのは私だけでしょうか。


・電気、水、食糧はいずれ尽き果てる
・人口が増えれば、1人当たりの使える土地が減り移動・通信も難しくなっていく
・事故で手足を失った人達が今尚苦しい生活を強いられている


などなど、人類全体の問題は明白です。
重要度の高い技術に人員を割いて然るべきですし、そう考える「神への反逆者」が再び増えれば21世紀の産業革命も不可能ではないと信じています。


科学を楽しむ

そんな怒れる反逆者たちも、常に怒っているわけではありません。科学とは本来楽しいもので、その事は本作でも一貫して主張されています。


「ラングドンはそう言って、研究上の大発見をした折によく感じる興奮を味わっていた」


これは大学院や仕事で研究した事がある人間なら誰しも体験したことがあるはずのアレです。『アルジャーノンに花束を』でもチャーリィが短い人生の中でこれを経験しています。


「まどろみかけようとした時、答が閃いた。イルミネーションのように!
あらゆるものが、ぴったりとはまった。それははじめから分かっていたはずのことだった。」
これまで点として捉えていた情報が、ある日突然頭の中で繋がり、一つの像が浮かび上がるような感覚。
まるで星空の中で新しい星座を見つけたかのような感動に陥ります。

ミステリーも科学と似ていて、その事を筆者がよく理解しているのがラストシーンから伝わってきます。見事な「感動」の表現だったと思います。
終わり良ければ全て良し。
極上のミステリー、ごちそうさまです。

では。

2015年8月6日木曜日

【8/6】 戦後70年の今考える事

English version is under construction.


本日8月6日は広島で原爆が投下された日で、平和記念式典の一部をテレビで拝見しました。世界平和という言葉が度々出てきた事もあり、今日半日は世界平和の可能性について考えました。

原爆について
初めて原爆について知ったのは小学2年生の時、学校の図書館で読んだ「はだしのゲン」がきっかけでした。

一瞬ピカッと光った直後、街は爆風で破壊され、人々は焼けただれた皮膚をひきずり水を求めたーー想像力の乏しい小学生にとって、非常に鮮烈な絵だった事を強く覚えています。

なんとか熱風から逃れた人々も病気、差別に苦しみ、衣食住の何もかもが保証されない時代をあまりにリアルに描いているため、始めはフィクションとしか思えませんでした。

この広島で起きた惨状を現実に在った事だとしっかり理解したのは、中学の修学旅行で広島に行った時です。同じ記述が現実の写真と共にそこに在り、同じ話を被爆経験者が語って下さりました。

原爆の恐怖・戦争の恐怖を語り継ぎ、二度と同じ悲劇を繰り返さないことこそ肝要である、と言われ、その時は強く同意しました。しかし原爆を保持している国は70年経った今でも存在し、戦争も一向になくなる気配はありません。

もし本気で戦争をなくしたいのであれば、ただ悲劇を語り継ぎ危険性を訴えるだけではなく、もっと戦争のメカニズムについて知り、これまでにない対策を考えるべきなのかもしれません。

そんな事を考えていた折、『永遠のゼロ』の中で面白い口上を見つけたので紹介します。

永遠の0 第九章「カミカゼアタック」

これは百田尚樹著「永遠の0」の中で、特攻要員だった男・武田が若手新聞記者・高山に対して述べた口上の一部です。


「夜郎自大とはこのことだーー。
貴様は正義の味方のつもりか。
私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている。
日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講話条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。
こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。
国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった。
日比谷公会堂が焼き討ちされ、講和条約を結んだ小村寿太郎も国民的な非難を浴びた。
反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいだった。
その国民新聞もまた焼き討ちされた」


さらに続きます。


「私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺だと思っている。
この事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいった。
そして起こったのが五・一五事件だ。
侵略路線を収縮し、軍縮に向かいつつある時の政府首脳を、軍部の青年将校たちが殺したのだ。
話せばわかる、という首相を問答無用と撃ち殺したのだ。
これが軍事クーデターでなくて何だ。
ところが多くの新聞社は彼らを英雄と称え、彼らの減刑を主張した。
新聞社に煽られて、減刑嘆願運動は国民運動となり、裁判所に七万を超える嘆願書が寄せられた。
その世論に引きずられるように、首謀者たちには非常に軽い刑が下された。
この異常な減刑が後の二・二六事件を引き起こしたと言われている。
現代においてもまだ二・二六事件の首謀者たちは
『心情において美しく、国を思う心に篤い憂国の士』
と捉えられている向きがある。
いかに当時の世論の影響が強かったかだ。
これ以後、軍部の突出に刃向かえる者はいなくなった。
政治家もジャーナリストもすべてがだ。
この後、日本は軍国主義一色となり、これはいけないと気付いた時には、もう何もかもが遅かったのだ。
しかし軍部をこのような化け物にしたのは、新聞社であり、それに煽られた国民だったのだ」


そして最後、戦後については以下のように述べます。


「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。
まるで国を愛することは罪であるかのように。
一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。
その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」


以上が口上の一部です。

もちろん小説なので、全てが真実ではありませんし、全てが正しいとは言いません。しかしこの口上から学べることは多いと思ったので引用させて頂きました。


戦争につながるきっかけの一つ目。

それは、国民が新聞社の表明する「怒り」に煽られてしまうことです。人を統率する際に最も操りやすい人間は、怒っている人間です。

それを知っている新聞社たちは、選挙や事件のたびに巧みに国民の「怒り」を煽ります。一番怖いのがすぐデモ行進に参加するような怒りっぽい人達です。

そうやって煽られた国民をコントロールできなくなってしまった時が一番恐ろしいのだと、そしてそれが原因で戦争が過去に起きていると、上の口上では言っています。


そしてもう一つの戦争へのきっかけ。

それが、「自らを正義と信じ」て他人に「教えてやろうという姿勢」です。先の口上における新聞社も国民も、自分達の考えや行いを「正義」だと信じているため決してひるみません。そのため、自身の「正義」が分からない他人に同調させよう、「教えてやろう」という姿勢になりがちです。


上記二つ以外にも、政治家がまるでダメであればそれが原因で戦争につながるかもしれません。しかし、戦争の原因が国民や新聞社にある限り、いくら上流の権力者が優秀で誠実な人間になっても戦争はなくならないんじゃないかということです。

新聞が言う事に一々怒らず冷静に聞き、自分の考え方とは違う人の考え方ももう少し真剣に考えるだけで、戦争が起きる確率は下げられるんじゃないか。
こう考えると、結構簡単に出来そうな気がします。けどそんな簡単じゃないと思うのでもう少し考えました。

怒りのコントロール
前述で、戦争予防法として

①怒りをコントロールする
②他人の考え方を尊重する

と綺麗事を並べましたが、実際これは両方ともかなり難しいのでもう少し具体化します。

まず①について。
人って結構些細な事ですぐ怒ります。飲食店でグラスが汚いとか、歩いていて肩がぶつかったとか、子供が言うこと聞かないとか。では人が一番怒る時っていつだろうと想像した時、中々想像つかないかもしれません。

私の場合は、
「理不尽に愛が奪われた時」
です。例えば兄弟を交通事故で失ったり、自分の子供が通り魔に殺されたりって意味です。友達や恋人でも怒ると思いますが、一番怒るのは大切な家族を奪われた時だと思います。

そういう状況で果たして怒りをコントロールできるのか。私はできません。想像するだけで血管キレそうです。そのため、常にそういう状況にならないように考えながら生きる必要があります。
そして常に最悪のケースを想定していれば、大抵の怒りはどうでもよくなります。

次に②について。
他人の考えなんてそうそう分かりません。が、相手が何に対して怒るかを観察し、なぜ怒るかを考えることで相手の立場に立てるのでは、と思ってます。


最後に口上を言った武田の怒りを一つ紹介して終わります。

「軽々しく平和という言葉を持ち出さないで貰いたい」


では。

2015年7月6日月曜日

Watched the game in Center court without ticket at Wimbledon

Japanese version is here.

I updated the webpage. → Wimbledon
In 2015/07/04, A miracle happened to me when I was in Wimbledon.

Queue
The start was 0a.m. in July 4th.
In Wimbledon, we can buy the ticket at the fixed price, so many people stand in a queue.
Although we plan to start standing in a queue from July 3rd, it was started from 0a.m. because of train's delay.

The park for a queue is closed at 22:30, and only the people who already stand in a queue can go inside. So we go to the place as we already stand in a queue, and we start setting up the tent.
But the weather suddenly becomes awful. The rain was really strong as storm, and the both inside and outside of tent got wet.

Finally we finished setting up the tent and went to sleep, but don't go to sleep with wet cloth and wet tent. We shivered with the cold.
We got up at 5a.m., and went into the hall at 11:30.


Lleyton Hewitt
The hall is so crowded. There are many courts, but to go into the center court, we should

1. go within first 500 in a queue, and pay 25000 yen
2. pay 250000 ~ 500000 yen at online

and we need tickets to go into No. 1 and No. 2 court.
So, most people go to No. 3 ~ 17 court.
We went to No. 12 court to watch dables game of Hewitt.

In the hot sun, Hewitt comes into the court after two games finished.
Many fun of Hewitt shouted and sang the song at any place in the game.
And in the fourth set, set count is 1-2 and both team keeps their service game.

Although the team of Hewitt lost their service point in the tie-break, they won the game and went into the final set. The game is so hot.
Finally, they won the game as 6-2. The time for the game is almost 4 hours.


Center court
We satisfied with the game of Hewitt, and the time was already 6 p.m.
We walked around Murray mound, Center court, and the score board of final game.
When we finished everything and tried to go home, a miracle was happened.

"We have no time and should go home, so do you need this ticket ?"

Unexpectedly, the elderly couple talked to us and showed me the tickets.
When I checked the ticket, there are some letters like...

Saturday, July 4
Center court

We appreciated to them, ran, and went into the Center court !!
Moreover the game is Murray vs Seppi, which is most popular game in the week.
Tiredness disappeared quickly, and watched the game with excitement.

That's all of the miracle in Wimbledon.
In the fact, the place where we stood is between the exit of center court and gate.
There are many people who was leaving, so to go into the center court,

3. wait at the exit of center court

may be good if you have a chance.

Sincerely

WimbledonのCenter court前に立ってたら中に入って観戦できた話

English version is here.

ホームページ更新しました。→ Wimbledon
先日2015年7月4日にウィンブルドンに行ったら奇跡が起きたのでまとめます。

Queue
始まりは当日の午前0時でした。
ウィンブルドンでは当日券を販売しており、この当日券欲しさに人々は何日も並びます。
僕達も前夜から入り万全を期す予定でしたが、電車の遅れや度重なる迷子により夜中の0時に。

並ぶ場所の公園は22:30には閉まり、並んでいる人だけが出入りできる状態です。
僕達はあたかも既に並んでいた人を装いつつ公園に侵入し、テントを立て始めました。
が、悲劇は起きました。豪雨です。テントの中も外もビショ濡れです。

なんとかテントを立てて寝ましたが、濡れた服と濡れたテントで眠るという事は絶対にしてはいけません。風邪をひくからです。震えが止まりませんでした。
何はともあれ朝5時過ぎから列に並び、11時半過ぎには入場できました。

Lleyton Hewitt
入場したは良いものの、会場は非常に混み合っています。
センターコートに入るには

1. 列の上位500人に入った上で25000円支払う
2. ネットで購入する (250000円〜500000円くらい)

のどちらかしかありませんし、No. 1コートやNo. 2コートもチケットが必要です。
そのため、No. 3 ~ 17コートにほとんどの人が集中します。
僕達はNo. 12コートのヒューイットのダブルスを観戦しました。

暑い日差しの中、シングル2試合の後にヒューイット登場と共に大歓声。
試合中もヒューイットファンの叫びや歌があちこちで繰り広げられます。
セットカウントが1-2とヒューイット側が不利な状況でキープ合戦が繰り広げられ、遂にタイブレに。

すると立て続けにブレイクされ、もうダメかと思われたヒューイット組でしたがなんとこのタイブレを制しファイナルセットに入ります。会場の熱気はもはや気温を凌ぐ勢いです。
そしてファイナルセット、6-2でヒューイット組の勝利。プレイ時間は4時間近くの熱戦でした。


Center court
ヒューイット戦ですっかり満足し、時間も既に18時過ぎ。
テレビでよく写るMurray MoundやCenter courtの周りを歩き回り、更新される最終試合のスコアボードをただ眺めていました。
名残惜しさを感じながらも帰ろうとした時、奇跡は起きました。

「私たちもう時間がないから帰るんだけど、このチケットいる?」

突如話しかけられたかと思ったら、見知らぬ老夫婦が僕達にチケットを差し出しています。
突然過ぎて聞き取れなかったので何のチケットかと思って手に取ってみると。。。

Saturday, July 4
Center court

僕達はひたすらに感謝し、走り、なんとセンターコートに入れてしまいました。
しかもマレーvsセッピという、今週最も人気がある試合です。
それまでの疲れは全て吹き飛び、かつてない興奮に身を包まれながらマレー戦を観戦しました。

以上がwimbledonで起きた奇跡の概要です。
後から分かった事ですが、僕達が立っていた所はちょうど出口とゲートをつなぐ間でした。
帰られるお客さんは他にも結構いたので、センターコートに入る方法として

3. センターコート出口周辺で入りたそうにしながら待つ

はアリかもしれません。

では。

2015年6月27日土曜日

Develop the webpage for my family by using "Editey"

Japanese version is here.


I created webpage for my family, so I briefly summarize about it.

Motivation
The start was in the middle of May.
When I checked facebook, the chat about Mother's day came into my sight.
I thought that it's important event only in Japan, but the topic is also popular in UK and people asked me

"What will you do for your mother ??"

then I answered that
"My mother is in Japan, so I can't do anything for my mother."

But I felt miserable because I answered same thing again and again, then

"I should do something"

that's why I started developing my family's homepage.
Father's day and my father's birthday came while I developed the homepage, so these are also included.


Web server
I started developing homepage, but I'm not familiar with web development.
My understanding is that I need to edit html and do something.
At first, I was editing html while investigating in google.

Write html, check the view in browser, modify it, write html, ...
Although I took this cycle for a while, I knew that server is required to publish the webpage.

Then I found the Editey, which is free service for web development.
This service is provided by google, and we can use the google drive as host server. Editey has many cool templates.

And most great point is that I can share everything with my family, because google drive can share any file with others if they have google accounts. So this service is really suitable for family's webpage. I want to develop the webpage with my family after my family's coding skill is growing up.


Thought
I wrote the motivation was Mother's day, but I have another reason.
The reason is "facebook is really messy".

In the past facebook, we can share the photos, interesting knowledges, articles, experiences, and so on. But recently, advertisement is increasing, and many comments such as "happy birthday!!" are also increasing, so I can't follow everything. The flow is really fast.
I know that increasing of contents is necessary for business.

That's why I conclude that I can share only important information in our webpage. The past information and most important information are sorted in my brain during I was developing the webpage, so I think that this is good trial for me.

If I update the family's webpage, this blog will also be updated.
Developed webpage is this.




Sincerely

Editeyを使って家族用ホームページ作成

English version is here.


今回初めて家族用ホームページを作成したので、その流れを軽くまとめます。

Motivation
そもそも事の発端は5月の中旬。
ざーっとfacebookを見ていたら唐突に盛り上がり始めた母の日トークがきっかけです。
その時は、英国にいる自分には関係ない話題だなーと思っただけでした。

しかしだんだんと英国でも母の日トークが展開されるようになり、
「お前は母親に何かしないのか?」
と聞かれる日々が続きました。とはいえ、

「自分は7月末まで英国、母親は日本だからねー。難しいよねー。」
という返しをするしかありませんでした。
でもだんだん自分で言っていて情けなくなってきたので、

「何かやるか」

となり、ホームページ作成に至ったわけです。
ついでに父の日と誕生日も含めました。


Web server
かくして、ホームページ作成しよう!となりましたが全くの初めてです。
最初は、html書いて何かすれば何か表示されるんだろう程度の理解でした。
とりあえず始めは色々とググりながらhtmlを書いてみました。

htmlを書いたらブラウザで表示して修正して、という事をしばらくやっていましたが、どうやらサーバーがないとホームページを公開する事はできないらしいというホームページの仕組みをようやく知りました。

しかしサーバーをレンタルするのは色々面倒そうだなぁ、と少し諦めかけた時に見つけたのが下記のサイトでした。

Googleドライブ上に「Web開発環境」を構築できる「Editey」は、ホスティングも無料!

サーバーをレンタルしなくても、Googleドライブをサーバーのように使えるよ!というサービスです。テンプレートもかっこいい物が揃っています。

何より今回の趣旨は家族用ホームページなので、家族全員が自分のページを持ち編集可能にしたいと思っていました。Googleドライブはgoogleアカウントを持つ人とはあらゆるファイルを共有できる優れものです。家族のコーディングスキルが高まったら一緒にホームページを作っていきたいと考えています。


Thought
最後にホームページを作ってみた感想。
今回の動機は母の日と書きましたが、実は他にもあります。
ずばり「facebookのごちゃごちゃ化」です。

初期のfacebookは、写真や面白い知識/記事/経験を共有する為の場所としてとても有効に機能していました。もちろん今でもその機能は健在です。

しかし広告の増加、ゲームの導入、誕生日おめでとう、あけましておめでとう、卒業おめでとう、就職おめでとうと中身がどんどん膨れ上がって最早全ては追いきれません。
もちろんビジネス拡大の為ですからコンテンツ増加は防げません。

そこで、じゃあもう自分でホームページ作って情報集めてまとめちゃおう、という考えに至ったわけです。ホームページを作成していると過去の情報や本当に大事な情報が整理されたので、非常に良いきっかけだったように思います。

家族にはこれから伝えるので、感想やホームページ更新がありましたらまたこのブログも更新しようと思います。作ったホームページはこれです。



では。