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2016年3月24日木曜日

【スーダンのモリー先生】日本人はなんで結婚しないの?

前回まで


と旅行の記録をつらつらと書いたり、旅のしおりにまとめたりしました。
本稿はそれらとはちょっと異なり、旅先で考えさせられた「とある話」を、備忘のためまとめます。

その前にモリー先生というのは、本や映画にもなった実在の人物のことです。
雑誌のコラムニストとしてバリバリ仕事に打ち込むミッチ(著者)が、かつての恩師であるモリー先生の病状をテレビで知る。先生に会いに行ったミッチは、モリー先生のたわいない質問に答えられないまま帰る。その答えを言いにまた会いに行くと先生からは更に難しい質問をされ、いつしか彼らの議論は毎週火曜に行われるようになる。モリー先生の最後の授業がミッチの人生を導く。

というお話です。
このモリー先生が実にシンプルな、しかし人生において大事な質問をしてくる先生であり、
スーダンでまさに彼に相当する人物と話した時の記録が以下です。
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(スーダン人と日本人が英語でした会話)

ス「君の奥さんは一人だけか?」

日「いや、まだ結婚していないよ」

ス「なんで結婚しないんだ?」

日「結婚にはお金がかかるからお金を貯めないと」

ス「ここまで来るお金はあるのにか?」

日「もっとかかるんだ」

ス「なんでお金がかかるんだ?」

日「結婚式を日本では盛大にやるから準備にお金がかかるんだよ」

ス「そんな盛大な結婚式をやることが目的で結婚するのか?

日「そうではないけど、、、他にも東京では家にお金がかかったり、家具とかなんでも高いんだよ」

ス「なんでだ?今も東京で暮らしているのに?」

日「良い家を買おうと思うと東京では大変なんだよ」

ス「良い家を買うために結婚するのか?

日「。。。」

ス「俺は前に日本人の医者にも結婚について聞いたことがあるが、彼も40なのに結婚していなかった。理由を聞くと次々と説明してくれたが、結婚ってそんなに難しいか?俺にはわからん。君達の言っていることは理解できる、ただ分からない。結婚したければすればいいのに。」

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この結婚については実際のモリー先生とミッチのやり取りにも似たものがあったが、ミッチはひたすら
「仕事が忙しい」
ことばかり口にしていました。

これは日本人がどーの、という話ではなく、先進国全般の問題かなーと思います。

生活に余裕があり楽しみも十分にある現代では「生きる意味」だの「やりがい」だのが重視され、「まだ結婚したくない」という若者が増えている気がします。

それ自体はそんなに悪いことではないと思います。

けれどその結果、結婚や恋愛について考えることを後回しにする人も増えているのではないでしょうか。
ミッチもその一人で、今回スーダン人のおじさんに気付かされた僕もその一人です(笑)


そんな話でした、おわり。

2016年2月17日水曜日

自動運転は我が子を守ってくれないという話

小1男児ひき逃げ 60代ダンプカー運転手の過失

親愛なる後輩をトラックに殺されてから2ヶ月半が経ちましたが、相も変わらずトラックを運転する高齢者ドライバーが若者の未来を奪う現実は変わっていません。

しかしこの現状も、もうすぐ実現されるだろう自動運転によって改善されるはず。。。と思っている方も少なからずいるかと思います。

そんな希望を打ち砕くようで心苦しいですが、
  • 完成間近の自動運転では歩行者事故は減らないこと
  • 自分の子供を守る方法は子供の教育以外にないこと
を忘れないために、書きます。


自動運転では歩行者事故は減らない?

減りません。これは2020年に各社が出すと言っている自動運転の話です。

東京オリンピックに向けて各社が総力を挙げて開発している自動運転は、高速道路など一部だけ自動化が可能な「部分自動運転」です。
歩行者の為ではなく、ドライバーの為の自動運転を開発しているというわけです。
ここで課題となってくる機能は車線変更や非常時(事故、工事)対応、運転の受け渡しなどで、歩行者保護は含まれていません。

実は歩行者保護は自動運転ではなく、ADAS (Advanced Driver Assistance System)の領域で開発が進んでおり、安全性評価の基準としても2016年以降強化されていく事がEuro ncapから報告されています。
しかし歩行者検知の技術はまだまだ発展途上で、誤検出も多いのが現状です。
先日、Googleが革新的な歩行者検知技術を提案しましたが、まだそういうレベルです。
研究中という状態です。2020年頃から発売開始したとしても、普及するのは10年以上先でしょう。

つまり言いたいことは、あと10年以上は暴走トラックに我が子が殺される前提で生きなければいけません。
先日殺された子供は7歳です。
これから子供を生む方にも大きく関係のある話です。

自分の子供を守るには?
 
教育しかありません。
政府は自動運転にメロメロなのであと10年以上は役立たずです。

まず、信号に依存させる教育をやめましょう。
信号の色に関係なく彼ら高齢者は、「アクセルとブレーキを踏み間違えた」とか言いながら突っ込んできます。
信号の色に関係なく道路の左右をくまなく確認する習慣をつけないと死にます。

次に、教習所レベルの事は子供のうちに教えましょう。
内輪差があるから巻き込み事故が多い事、
空走距離と制動距離、
ドライバーの死角、
止まれの標識や見通しの悪い交差点ではゆっくり左右を確認する、
などなど、子供でも教えれば分かります。
他にも、
信号の変わり目は急加速して突っ込んでくる車が多い、
など、経験則を教えるのも良いと思います。

おわりに

乗用車のメーカーは、
スマホを活用して車にサイクリストの位置を伝える機能とか、
歩行者と車の両方に衝突の危険を伝える機能とか
素晴らしいアイデアを提案していますが、普及には時間がかかりますし、恐いのは乗用車ではなく商用車です。
全商用車への歩行者検知装備が理想ですが、最短でも10年はかかります。
教育しか思いつかなかったのでこんな結論になりましたが、他にアイデアがあれば是非教えてください。

これ以上若い命が奪われない事を切に願います。

2015年11月16日月曜日

人間塾の公開セミナーを聞いて

「悩み揺れながらも、進む人生」
というテーマで大学3~4年生の学生達が議論するという面白イベントを聴いてきました。

主な話のテーマはざっくり分けると

  1. 悩みって何?
  2. 進むというけれどどこからどこへ?
  3. 幸せって何だろう?

といった中々抽象的で難しそうな事でした。
色々と考えさせられましたが、自分の意見をまとめておかないと忘れそうなので(笑)
一個ずつ整理します。


1. 悩みって何?


これは大学3~4年生という事もありほとんど進路の話でした。自分の興味や考え方が出会う人や環境によって揺れ動いてしまうという悩みが多かった印象で、自分の進路をどう選べば良いのかというのは僕も大学3年の時は結構悩みました。当時の僕の興味はエネルギー関連にあり、各発電技術やスマートグリッドの制御アルゴリズムも興味がありましたし、電気自動車の電池やらスマートホームとの連携なんかも面白そうだし、「やりたいこと」で探したらいくらでもありました。

この「進路探し」をしている最中に自分の価値観を揺るがしたのが東日本大震災でした。

この時、たくさんの記事やコメントがメディアに露出し、多くの著名人の意見を見る中で三つのコンテンツが自身の考え方を大きく変えました。




家族を失う事の恐怖をたけしのコメントや東京マグニチュード8.0から教わり、家族や友達を失った子供達が将来の夢を語っているBBCを鑑賞し、自身の両親や兄弟の死を生まれて初めて意識しました。それは病気か、事故か、犯罪や戦争によるものか、あらゆる可能性がありますが私にとって最も恐ろしいのが交通事故でした。家族を失う事ももちろんですが、事故を起こした加害者に対する恨みにとりつかれるだろう事もです。そして交通事故は加害者側も一生苦しみます。


それ以来私の使命は「交通事故をなくす」事になり、進路に悩む事もなくなりました。実はこの決断をした後研究室を変えたり博士課程を目指したりITベンチャーのインターン行ったりと、周りから見れば「揺れまくり」な人生だったに違いありません。しかし私は一度たりとも自分が揺れたとは思っていませんし、悩んだ事もありません。これに関しては例え話で説明します。

まず頂上の見えない塔、あるいは山をイメージします。グレート・スピリッツでもOKです。


(参考:シャーマンキングのグレート・スピリッツ)

その塔ないし山を登る際、大学3年生の時の私は「登りたい道」を探していました。
見通しの良い道なのか、傾斜は緩そうか、道の人通りは多いか、大きい道か、しっかり舗装されているか、適度に良い景色が見える面白そうな道か。そんな事を重視していました。

しかしよくよく考えれば、人間は60億人います。日本人だけでも1億人です。道ならいくらでも開拓済みです。道より問題なのは、「今いる山の途中から他の山には中々行けない」という事です。選ぶべきは道ではなく山だったんです。それに気付いてからは道へのこだわりはなくなりました。常に頂上を見ていれば、道が途中でなくなろうが険しかろうがなんとかなる、と最近思うようになりました。

本日のセミナーで塾長が「悩むだけ無駄」という話をしていましたが、それは道選びの話だけなら大いに共感します。ただ山選びは大いに悩むべき所です。自分の10年、20年を捧げるものなので。


2. 進むというけれどどこからどこへ?


この問いは最近考えることを忘れていたので良い機会でした。セミナーの登壇者たちが「両親が育てあげてくれた所から自立した自分に進みます!」という答えを示していて、確かに自分がやってきたのは両親が作り上げたコミュニティからだという当たり前の事を思い出させてくれました。

ただせっかくこの世に生まれたからには、両親に負けるわけにはいかないな、という事は割と幼少期から思っていました。子供が親より小さいコミュニティで小さな人間になってしまったら一族縮小してしまうので(笑)、親よりちょっとでも大きなコミュニティ形成してちょっと大きい事達成していけられれば前進と呼べるかなと思っています。


3. 幸せって何だろう?


このテーマは中々白熱していました。「幸せを求めることは義務だ!皆が幸せになるべきだ!」という塾長と「いやいや、幸せを強要したらそれ幸せじゃないでしょ。求めるべきは自由でしょ」という登壇者で議論してましたけど、よくよく聴くと同じ考えなんだろうなー、という印象でした。ただ前者はやはり言い過ぎかなと感じたので、ドフラミンゴ思想を用いて反論させてもらいます。

まず塾長の思想はこれですよね。
(参考:鋼の錬金術師の「一は全 全は一」)

一(個人)の幸せは全員の幸せあってのものだし、全員の幸せは一(個人)の幸せあってのもの。
一(個人)が全(他人)の幸せを願うことから一と全の相互作用が始まるから、皆利他的に生きようっていう思想ですよね。

この思想に鋼の錬金術師で初めて触れた時は深く共感しました。が、違和感を感じ始めたのは飲食店のバイト中でした。私が働いていた飲食店にいらっしゃるお客様は兎角

  • 頼んだ飯を残す
  • 店員の所作や調理時間で怒る

彼らを見ていて思い出したのはドフラミンゴが言っていた「価値観の相違」でした。




彼らは金も時間も十分にあり、頼んだ料理も食べられないほど衣食住には困っていないわけです。幸せか不幸かで言えば間違いなく幸せなはずですが、出された飯を不味いと言い、サービスを提供しようと努力する店員に怒りをぶつけます。


この経験で確信したのは、「幸せな人間と不幸な人間は相容れない」という事です。自身を振り返ってみても、「楽あれば苦あり」ということわざの如く、自分の人生の中に楽と苦を見出します。人生良いことばかりじゃない、と誰しもが思っています。他所から見れば贅沢な悩みでも、彼らからすれば一大事なわけです。

では結局幸せって何?という問いの答えはまだ分かりません。が、シャーマンキングで葉が言っていた「楽」が一番幸せに近い状態かもと考えています。サボる意味の楽ではなく、誰も他人を憎まない世界を目指して活動しながらも、自身は決して幸せや不幸にゆれることなく揺らいでいる状態。「中庸」と言うと簡単そうに聞こえますが、難しいです。


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以上、本日のセミナー中の脳内まとめでした。

最後にパリのテロについても触れると、世界的に怒り(負)の流れがどうしても強まってるのがなんとかならんかな、という心境。家族や友人を失ったフランス人が憎しみに支配されるのは致し方ないですが、遠方の地にいる日本人だからこそ冷静にテロ対策をできないものか、テロを起こす側の価値観に近づけないか試していく所存です。

テロの被害を受けた方々のご冥福をお祈りいたします。


nobuto

2015年8月6日木曜日

【8/6】 戦後70年の今考える事

English version is under construction.


本日8月6日は広島で原爆が投下された日で、平和記念式典の一部をテレビで拝見しました。世界平和という言葉が度々出てきた事もあり、今日半日は世界平和の可能性について考えました。

原爆について
初めて原爆について知ったのは小学2年生の時、学校の図書館で読んだ「はだしのゲン」がきっかけでした。

一瞬ピカッと光った直後、街は爆風で破壊され、人々は焼けただれた皮膚をひきずり水を求めたーー想像力の乏しい小学生にとって、非常に鮮烈な絵だった事を強く覚えています。

なんとか熱風から逃れた人々も病気、差別に苦しみ、衣食住の何もかもが保証されない時代をあまりにリアルに描いているため、始めはフィクションとしか思えませんでした。

この広島で起きた惨状を現実に在った事だとしっかり理解したのは、中学の修学旅行で広島に行った時です。同じ記述が現実の写真と共にそこに在り、同じ話を被爆経験者が語って下さりました。

原爆の恐怖・戦争の恐怖を語り継ぎ、二度と同じ悲劇を繰り返さないことこそ肝要である、と言われ、その時は強く同意しました。しかし原爆を保持している国は70年経った今でも存在し、戦争も一向になくなる気配はありません。

もし本気で戦争をなくしたいのであれば、ただ悲劇を語り継ぎ危険性を訴えるだけではなく、もっと戦争のメカニズムについて知り、これまでにない対策を考えるべきなのかもしれません。

そんな事を考えていた折、『永遠のゼロ』の中で面白い口上を見つけたので紹介します。

永遠の0 第九章「カミカゼアタック」

これは百田尚樹著「永遠の0」の中で、特攻要員だった男・武田が若手新聞記者・高山に対して述べた口上の一部です。


「夜郎自大とはこのことだーー。
貴様は正義の味方のつもりか。
私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている。
日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講話条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。
こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。
国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった。
日比谷公会堂が焼き討ちされ、講和条約を結んだ小村寿太郎も国民的な非難を浴びた。
反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいだった。
その国民新聞もまた焼き討ちされた」


さらに続きます。


「私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺だと思っている。
この事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいった。
そして起こったのが五・一五事件だ。
侵略路線を収縮し、軍縮に向かいつつある時の政府首脳を、軍部の青年将校たちが殺したのだ。
話せばわかる、という首相を問答無用と撃ち殺したのだ。
これが軍事クーデターでなくて何だ。
ところが多くの新聞社は彼らを英雄と称え、彼らの減刑を主張した。
新聞社に煽られて、減刑嘆願運動は国民運動となり、裁判所に七万を超える嘆願書が寄せられた。
その世論に引きずられるように、首謀者たちには非常に軽い刑が下された。
この異常な減刑が後の二・二六事件を引き起こしたと言われている。
現代においてもまだ二・二六事件の首謀者たちは
『心情において美しく、国を思う心に篤い憂国の士』
と捉えられている向きがある。
いかに当時の世論の影響が強かったかだ。
これ以後、軍部の突出に刃向かえる者はいなくなった。
政治家もジャーナリストもすべてがだ。
この後、日本は軍国主義一色となり、これはいけないと気付いた時には、もう何もかもが遅かったのだ。
しかし軍部をこのような化け物にしたのは、新聞社であり、それに煽られた国民だったのだ」


そして最後、戦後については以下のように述べます。


「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。
まるで国を愛することは罪であるかのように。
一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。
その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」


以上が口上の一部です。

もちろん小説なので、全てが真実ではありませんし、全てが正しいとは言いません。しかしこの口上から学べることは多いと思ったので引用させて頂きました。


戦争につながるきっかけの一つ目。

それは、国民が新聞社の表明する「怒り」に煽られてしまうことです。人を統率する際に最も操りやすい人間は、怒っている人間です。

それを知っている新聞社たちは、選挙や事件のたびに巧みに国民の「怒り」を煽ります。一番怖いのがすぐデモ行進に参加するような怒りっぽい人達です。

そうやって煽られた国民をコントロールできなくなってしまった時が一番恐ろしいのだと、そしてそれが原因で戦争が過去に起きていると、上の口上では言っています。


そしてもう一つの戦争へのきっかけ。

それが、「自らを正義と信じ」て他人に「教えてやろうという姿勢」です。先の口上における新聞社も国民も、自分達の考えや行いを「正義」だと信じているため決してひるみません。そのため、自身の「正義」が分からない他人に同調させよう、「教えてやろう」という姿勢になりがちです。


上記二つ以外にも、政治家がまるでダメであればそれが原因で戦争につながるかもしれません。しかし、戦争の原因が国民や新聞社にある限り、いくら上流の権力者が優秀で誠実な人間になっても戦争はなくならないんじゃないかということです。

新聞が言う事に一々怒らず冷静に聞き、自分の考え方とは違う人の考え方ももう少し真剣に考えるだけで、戦争が起きる確率は下げられるんじゃないか。
こう考えると、結構簡単に出来そうな気がします。けどそんな簡単じゃないと思うのでもう少し考えました。

怒りのコントロール
前述で、戦争予防法として

①怒りをコントロールする
②他人の考え方を尊重する

と綺麗事を並べましたが、実際これは両方ともかなり難しいのでもう少し具体化します。

まず①について。
人って結構些細な事ですぐ怒ります。飲食店でグラスが汚いとか、歩いていて肩がぶつかったとか、子供が言うこと聞かないとか。では人が一番怒る時っていつだろうと想像した時、中々想像つかないかもしれません。

私の場合は、
「理不尽に愛が奪われた時」
です。例えば兄弟を交通事故で失ったり、自分の子供が通り魔に殺されたりって意味です。友達や恋人でも怒ると思いますが、一番怒るのは大切な家族を奪われた時だと思います。

そういう状況で果たして怒りをコントロールできるのか。私はできません。想像するだけで血管キレそうです。そのため、常にそういう状況にならないように考えながら生きる必要があります。
そして常に最悪のケースを想定していれば、大抵の怒りはどうでもよくなります。

次に②について。
他人の考えなんてそうそう分かりません。が、相手が何に対して怒るかを観察し、なぜ怒るかを考えることで相手の立場に立てるのでは、と思ってます。


最後に口上を言った武田の怒りを一つ紹介して終わります。

「軽々しく平和という言葉を持ち出さないで貰いたい」


では。